2019年06月06日
遠州と鳥島は繋がっている 後編
江戸時代、表浜名湖は新居町からの漂流者が鳥島で20年も生き延びた奇跡の贈り物の正体とは、「お米」でした。
サバイバル生活を始めて暫くして、無人船が鳥島に漂着しました。中にはなんと、お米が60俵も積まれていたというのです。正に神様からの助け舟でした。
しかもその中には籾米(もみごめ)が1俵混じっていました。ただ今日生きる為にその場にあるものを食べるーーそれしか出来なかった事が、籾米を撒くことで食べ物を自分で育てられるようになったのです。
土地が肥沃なわけでもなく、水も満足に手に入らない中での稲作は決して容易ではありませんが、それでも毎年何俵かのお米を収穫できるようになったのでした。
それでも厳しいサバイバルだった事には変わりなく、12人中生きのこったのはたった3名です。
つまり私達の故郷である遠州地方出身の9人が、今尚鳥島で眠っています。鳥島に私達が赴く事で、遠州の懐かしさを届けてあげたいですね。
Posted by はままつ少年の船 実行委員会 at 00:13│Comments(0)
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